お家シネマで癒されましょう

第43夜「変わりゆくアニメーションと、変わらない想い」

今宵のテーマは「アニメーション」。
静かな瀬戸内と、カラフルなブロック。
どちらにも、アニメーションの魂が宿っていた。

映画 「ももへの手紙」 日本の原郷を描いたアニメーション

原案・脚本・監督:沖浦啓之
公開:2012年

〈Story〉
ももは、母親のいく子とふたり、母が幼い頃に暮らした瀬戸内の汐島に引っ越してきた。ももは父の出張に心ない言葉をぶつけてしまい、仲直りしないまま父を亡くしていた。
汐島は、昔ながらの家々と自然に囲まれた長閑な町だった。島での生活や周りの人々にも馴染めずにいたももは、屋根裏で一冊の黄表紙を見つける。
その日から周囲で不思議なことが起こり始めたももの前に、イワ・カワ・マメという3匹の妖怪が現れた。。。

〈受賞〉
イタリア第14回フューチャーフィルム映画祭・最高賞プラテナグランプリ
第16回ニューヨーク国際児童映画祭・長編大賞
第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門・優秀賞
第16回ファンタジア国際映画祭・ベストアニメーション映画観客賞
第20回キンダー・フィルム・フェスティバル・最優秀作品賞(長編部門)、国際審査員特別賞
第36回日本アカデミー賞 優秀アニメーション作品賞
2012年度芸術選奨新人賞メディア芸術部門
東京アニメアワード2013個人部門美術賞
第6回アジア太平洋映画賞最優秀アニメーション映画賞

『ももへの手紙』は沖浦啓之監督の作品です。

多分、監督作としては「ももへの手紙」と、あと2本くらいだけだと思います。

初監督作となる映画『人狼 JIN-ROH(2000)』は、
第54回毎日映画コンクールアニメーション映画賞、
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2000 南俊子賞、
ファンタスポルト1999 最優秀アニメーション賞/審査員特別大賞、
モントリオール・ファンタジア映画祭アジア映画部門 第2位、
ベルリン国際映画祭パノラマ部門正式出品、
第5回アニメーション神戸 個人賞、
第10回日本映画プロフェッショナル大賞 第9位、
第5回日本インターネット映画大賞 新人賞など、
国内外で高い評価を受けています。

スタッフとしての参加も多いね。

そうですね。『ガンダム』とか、『エヴァンゲリオン』とか。

ああいうメカ系の作風で評価されていたのが、 監督本人はあまり気に入ってなかったみたいですね。 ただ、そういう粛々とした仕事の結果、クオリティを認められたそうです。

へえ。

その沖浦監督が、10年の歳月をかけて作ったのが『ももへの手紙』です。 おじいさんが桃山学院大学の名誉教授で、民俗学者だったそうで、 そういう“香り”が作品にも漂っています。

10年かけて作ったことに対して、押井守が 「3年以上かけるとその時代からは離れていく。 ビジネスとしては成立しない。この監督とは一緒に仕事をしない」 と言ったとか。

辛辣ですね。そこまで言うんだ。

でも作品を見ると、日本の“原郷”を感じるんですよ。 今の時代の物語というより、 スタンダードな物語を丁寧に作っているのがよく分かる。

話の筋が、ということですか?

そうそう。母・いく子にとっての原風景が、この町にあるんです。 昭和の空気が描かれていて、屋根の上には「うだつ」があったりして……。

「うだつ」って、何ですか?

屋根の上にあって、隣の家との仕切りになる壁――防火壁ですね。 それが「うだつ」。 四国にうだつの町(脇町南町)なんかもあります。

「うだつが上がらない」の「うだつ」ですか?

そうそう、出世できないっていう意味のやつですね。

母のいく子とももが、瀬戸内海をフェリーで渡っていくところから物語は始まります。 引っ越しです。正確には都会から田舎への“逼塞(ひっそく)”ですね。

「逼塞(ひっそく)」って言うんですか。

いいところへ越すのは“引っ越し”だけど、 財政的な事情で家賃の安いところへ転居するのは“逼塞”。 後に明かされますが、実はお父さんが亡くなったのが原因なんです。

瀬戸内海の島は、いく子が育った故郷で、 エネルギーを充填して、もう一度立ち上がるための “パワースポット”みたいな場所でもある。

沖浦監督のこだわりを感じるのが、 瀬戸内海の島々の空間の気持ちよさですね。 都会から島に移り住むことで、 都会の人と田舎の人の交流が描かれていきます。

いく子の父は、江戸時代の黄表紙を収集していた人でした。 二階の納戸にはたくさんの黄表紙があって、 ももが何気なく眺めていると、そこに妖怪の絵が描かれている。

そして、ももは身近に妖怪の気配を感じて、 やがて“見える”ようになる。 それが、あの三体の妖怪です。

実はフェリーの上で、 水滴が三粒、ももの頭にポツポツと落ちていたんですよね。

物語の型として、僕は勝手に「地球防衛軍型」って呼んでる型があって。 たとえば、宇宙から外敵が来ると、 今まで敵対していた国同士が協力し合う、あの感じ。

ももは、なかなか田舎の人たちに馴染めない。 でも妖怪が現れることで、 だんだん田舎の子どもたちと仲良くなって、 連帯関係が生まれていきます。

なるほど。

これを「地球防衛軍型」と。

そんな型が。

……ないですけどね。ふふ。

妖怪が見えるのって、ももだけじゃないんですか?

ももだけです。 ももは、敬遠していた田舎の子どもたちの仲間に入っていきます。

島に着くとき、フェリーから見ていると、 子どもたちが高い橋の上から海にダイブして遊んでいる。 あれはただの遊びなんだけど、 仲間として受け入れるための “承認の儀式”みたいにも見えました。

物語の類型としては、「子どもと妖怪が出会う話」です。 たとえば『E.T.』や『モンスターズ・インク』が典型ですね。

警戒心がなくて、素直な気持ちを持っている存在―― だからこそ、幼い子どもにだけ“見える”のかな、と思う。

『となりのトトロ』も、まさにそうですよね。

この三体の妖怪には役目が与えられていて、 誰かが亡くなったあと、天国へ行くまでの間、 その人の家族を見守る、という仕事をしている。

ももといく子を見守って、 それをお父さんに報告する、 という役割でもある。

ももが妖怪たちと仲良くなるきっかけは、 妖怪が“あの世とこの世を行き来する通行手形”を落としたのを、 ももが拾ったことでした。

「大事なもんやから、返してくれ」って妖怪たちが言う。 ももがそれを割ろうとすると、 「それがないと帰れなくなる。何でも言うこと聞くから」 ――そんなやりとりから、 ももが少しずつ優位になって、 だんだん仲良くなっていく。

いく子とももの関係は、 この時点ではまだギクシャクしています。 ももは、こんな田舎に来たくなかった。

仕方なく、村の人たちと一緒に過ごしている、 という感じです。

そんな中で、ももがいなくなる。

瀬戸内海の島に台風が来て、 雨の中、いく子と村の人たちが 慌てももを探しに行く。

いく子は元々、喘息持ちで、 雨の中を探し回ったことで体調が悪化し、 だんだん苦しくなっていきます。

そこへ、ももが帰ってくる。

ももはいく子を心配するけれど、 島にはお医者さんがいない。

別の島にいるお医者さんを 連れてこなければならない。

そのためには橋を渡らないといけないけれど、 台風の中では危険すぎて行けない。

喘息は処置をしないと命に関わる。 ももは、どうしてもお医者さんを連れて来たい。

そこで、妖怪たちが力を貸します。 橋を渡るとき、 台風の雨風を防いでくれるんです。

ここも、地球防衛軍型なんですよね。 台風という“さらに外側の外部要素”が加わることで、 ももと妖怪の関係が決定的に深まる。

外から来た存在の、 さらに外にまた別の外部が来る、 という二重構造の物語になっていて、 単純なアニメ作品じゃないな、 と思いながら観ていました。

それから、もののけが現れる場所って、 だいたい“境界”が多いと言われているんですよね。

境界?

橋の上で出会う、とかね。 たとえば平安京だと、 戻橋や六道の辻で魔物に出会う。 これが典型的な「境界」です。

それと、“マージナル”と呼ばれる辺境ですね。 島の周りは全部が海だから、 マージナルだらけでもある。

昔の人は、海とあの世―― “海(あま)=天(あま)”は 繋がっていると思っていたらしいです。

それと、時代背景も重要です。 この物語は、 今の時代の話じゃないんですよ。

そうでしたっけ。

テレビから、 前川清が歌うクール・ファイブの曲が流れてくる。 あれは「噂の女」で、 1970年の歌です。

時代、あまり意識せずに観ていました。

季節はお盆ですね。

お祭りがありました。

小さな船を作って、海に流す。 灯籠流しは各地にある行事で、 小さな船に、 いろいろな物やメッセージを載せて、 海に流して亡くなった人に届けます。

空間的な背景と、 季節や時間の設定も、 魔物が現れるのに すごく効果的でした。

「社会が不安定になると妖怪が出てくる」 とも言われます。

1970年はオイルショックの年で、 世界的な経済不況が 押し寄せてきた時代でした。

厳密には、妖怪じゃないんですよね。 三人は、 妖怪の姿を借りた “天からの使い”だと、 僕は解釈していました。

この三人、 実は江戸時代以前に、 かなり悪さをしていたらしいんですよ。

元々は別の姿で、 罰を与えられて、 今の姿になったんですよね。

声を担当しているのが、西田敏行でね。

そうそう。 西田敏行が声を当ててるアニメ、 という印象で覚えていました。

ビジュアルは、 もう完全に妖怪ですよね。 河童っぽい人とか。

不気味なビジュアル。

そして、 お医者さんを無事に連れて帰って来られるのか? ももと、いく子の関係はどうなるのか? そして、 ももはあの“ダイブ”ができるのか? ――っていうお話になっていきます。

タイトルの「手紙」が、キーワードですよね。

お父さんは、 亡くなる前に 手紙を書こうとしていたよね。 不器用なのかな。 結局、書かずじまいでした。

「ももへ」って書いただけの、 白紙の手紙。

お父さんが亡くなる直前に、 ももがお父さんと喧嘩別れしてしまう。 そのまま、 お父さんが亡くなるんですよね。

そういうところも、意味がありそうですね。

この作品は、 “ヒアとゼア”、 こちらと、向こうの話やと言えますね。

手紙は、 ヒアとゼアの“間”にあるもの。

三体の妖怪も、 その間の架け橋やし、 お祭りの船も、 同じ役割を持っている。

黄表紙は、 ももと祖父との“間”にある。

こっちと向こうの間にあるアイテムが、 作中にはたくさん出てきます。

だからこの物語は、 いつの時代にも通じる “スタンダード”なんやと思う。

調べてみたら、舞台は広島みたいですよ。

燈台の景色が、鞆の浦でしたね。 『崖の上のポニョ』の舞台と 同じ場所です。

(鞆の浦は、 沖浦監督のルーツで、 着想の元になった場所やそうです。)

へえ、そうなんですか?

ポニョにも、燈台が出ますね。

鞆の浦っぽい景色もあるし、 四国の景色も混ざってる。

『ももへの手紙』の舞台は、 大崎下島(呉市豊町)の 御手洗地区みたいですね。

今治に橋が架かっていますよね。 しまなみ海道かな。 あそこ、バイクで突っ切るんですね。

今回、この作品を選んだ理由は?

物語がいいな、と思いました。

中盤で、 三体の妖怪がお腹を空かせて、 村のストアで商品を勝手に取ってくる。

そこで、 ももが「食べものがたくさんある山」へ 連れていくんですね。

山を登っていくと、 瀬戸内なので、みかん畑があって、 そのみかん畑には、 みかんを運ぶための 簡易モノレールがある。

ちっちゃいやつ。

その台車に乗って行くと、 イノシシの親子が出てくる。

妖怪が、 うりぼうを捕まえようとすると、 母イノシシが、 子どもを取り戻すために どこまでも追いかけてきて、 台車に体当たりをして、 妖怪たちが散々な目に遭う。

そういう逸話のあとで、 ももが行方不明になります。

ももを探すために、 いく子は台風の中を行く。

――あの逸話は、 そのための話やったんですね。

はい、はい。

子どものために、 母が命を投げ出す話を重ねて、 丁寧に物語を作っている。

逃げ出してしまうところは、 よくある型という感じもしますね。

『となりのトトロ』(1988)で、 メイちゃんが脱走した、 ああいう感じ。

確かに、あるかな。

そういうのって、 スポット的な出会いを描く作品が 多い気がして。

結局、 見えていたものが 見えなくなってしまうことも多いし、 この作品はどうなのかな、 って気になりました。

大抵は、 「ひと夏の思い出」みたいに、 別れを描くよね。

目的が達成されたら、 見えなくなっちゃう、 とか。

そう、そう。

記憶から消えるんでしょうね。

この妖怪、 黄表紙から出てきますけど、 黄表紙に描かれている三体は、 みんな旅姿なんですよ。

だから、 いなくなる存在なんですよね。 やってきて、 また出て行く。

なるほど、旅人ですから。

いろんな物語でも、 旅人は英雄的な存在として 描かれますからね。

『シェーン』(1953)とか。

『用心棒』(1961)とか。

ある意味、この妖怪たちも英雄です。

その三体って、 ももだから関係があるような存在ですか?

徐々に関係が深まっていく。 本当は、 人間に見られたら駄目やし、 関わったら駄目で、 陰で見守るだけの仕事なんです。

見守るだけやから、 あんまり関与しちゃ駄目ですよね。

だから、最後に―― お母さんのために、 お医者さんを迎えに 今治へ向かうシーン。

台風で雨が吹きつける中、 本来なら手助けしちゃ駄目なんだけど、 このまま見殺しにしたら、 お目付役の彼らが 罰を与えられてしまう。

半分は、 自分たちのためでもあるけど、 助けに行く。

最初は不気味な存在やったのに、 観ているうちに、 だんだんいとおしくなってくるんですよ。

――いなくなるシーンは、 やっぱり寂しかったですね。

タッチとしては、 コメディ的な要素もあるんですね。 登場はわりとコメディっぽい。

アニメ向きですね。

日常はすごくリアルに描いてある。 そこに妖怪が出てくると、 急にコメディになる感じ。

面白そう。

Eくん

年間 120本以上を劇場で鑑賞する豪傑。「ジュラシック・ワールド」とポール・バーホーヘン監督「ロボコップ(1987)」で映画に目覚める。期待の若者。

キネ娘さん

卒業論文のために映画の観客について研究したことも。ハートフルな作品からホラーまで守備範囲が広い。グレーテスト・シネマ・ウーマンである。

検分役

映画と映画音楽マニア。所有サントラは2000タイトルまで数えたが、以後更新中。洋画は『ブルーベルベット』(86)を劇場で10回。邦画は『ひとくず』(19)を劇場で80回。好きな映画はとことん追う。

夕暮係

小3の年に「黒ひげ大旋風(1968)」で劇場デビュー。開幕し照明が消えると、大興奮のあまり酸素が不足し気分が悪くなって退場。初鑑賞は、あーなんと約3分でした。映画の黎明期から最新作までの系譜を追求。

検分役の音楽噺 ♫

『ももの手紙』の劇伴を担当されたのは窪田ミナさん。
アニメ、ドラマ、映画で活躍されている作曲家さんで、代表作としてNHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房(10)と、この『ももへの手紙』がよく挙げられています。
本作では、登場する妖怪を表現するのに、様々な民族楽器を用いて独特な音を奏でるという工夫をされています。
エンドロールには原由子さんの「ウルワシマホロバ」が使われています。
物語の世界観を崩さないナンバーですが、劇判の窪田ミナさんとはまったく関係なく使われています。

今回、ちょっと書いてみたいのは、このエンドロールに流れるソングナンバーについて。

ほとんどの邦画のエンドロールにソングナンバーが使われているのは、映画をよくご覧になっている方ならご存知のはず。
ただ、劇中で流れる劇判とはまったく関係のない楽曲が使われるパターンがほとんどで、僕が観た限りでは本編のイメージや 世界観とかけ離れたものが多いのが現状なんですね。
最近でも、とある作品で物語の余韻を壊すようなナンバーが流れてきて、興覚めしてしまったことがありました。

なぜ、こんなことが起こるのか?
無論、映画製作サイドと音楽業界との大人の関係(笑)なのですが、たとえば監督やプロデューサーが納得して使われるならばまだ良しとしても、 酷いのは映画本編も観たことがないというアーティストの楽曲が使われているケースも実際にあるのです。

かつての角川映画だったら、TⅤスポットなどで主題歌を前面に出して、強烈な印象付けなんてこともありましたが、 最近は劇場で本編を観てはじめて耳にするナンバーが、余韻もなにもなしに流れてくるのはどうなんだろう? って思ってしまいます。

一方、『レゴ・ザ・ムービー』の劇伴を担当したのはポール・マザースポー。
かつて、エレクトリック・ポップ・バンド、DIVOのリーダーで、最近は映画の劇伴も積極的に担当しています。
『レゴ~』では劇伴のみならず、挿入歌も担当しており、音楽的な統一感もあります。

これが、映画音楽ファンの一人としては、理想的なスタイルだと考えます。
判りやすいケースでは、『007』シリーズの音楽がそうですね。
劇伴も主題歌も同じ作曲家が担当しているので、本編でも主題歌のメロディが効果的に流れてくる。

もっとも最近の『007』シリーズの音楽も、そのパターンが崩れてきてはいますが。

もし、興味を持たれたら、次に邦画をご覧になる際に、劇伴の作曲者とエンドロールのナンバーって関連あるのかな、 という視点から観てみるのも一興かと。

「うだつ」見本

うだつ(卯建)。日本家屋の妻側(側面)の屋根部分にある防火壁で、火事の延焼を防ぐ目的で設置された。江戸時代には成功の象徴となり「うだつが上がらない(出世しない)」という言葉の語源になった。有名なのは、徳島県と岐阜県

備前擂盆一代記

黄表紙「備前擂盆一代記 」曲亭馬琴・著   (東京都立図書館より)

「境界(怪異の民俗学)」小松和彦
「境界(怪異の民俗学」小松和彦。ヒアとゼア、この世異界の境界線上の現象をテーマに、昔の村落共同体が「この世」という生活空間の外の「異界」をどのように捉えていたのか。この境界では妖怪や幽霊が出やすいとされ、不安と不思議な現象が共存する場所と見なされていた。 

映画 「LEGO ムービー」 レゴブロックで描き切ったアニメーション

脚本・監督:フィル・ロード&クリストファー・ミラー
日本公開:2014年

〈Story〉
レゴの世界「レゴワールド」では、魔法使いウィトルウィウスが「スパボン」という最強の武器を隠していたが、独裁者“おしごと大王”に奪われてしまう。彼は「選ばれし者」が現れて世界を救うと予言を残す。
8年後、マニュアル通りにしか生きられない平凡な作業員エメットが、偶然「奇跡のパーツ」を見つけたことで、“選ばれし者”として反乱軍に担ぎ上げられる。仲間のワイルドガールやウィトルウィウスらと共におしごと大王に立ち向かうが、捕らえられ、師ウィトルウィウスも倒される。絶望するエメットは、自らを犠牲にして仲間を救おうとし、現実世界へ落ちてしまう。
そこはレゴで遊ぶ少年フィンと、レゴを完璧に固定しようとする父親の世界だった。。。

「LEGO ムービー(2014)」って、タイトルからすると子供向けみたいな印象を受けると思うんですけど、よくできているんですよ。

冒頭を観たら、本物のレゴが動いているような、コマ撮りかなって思っちゃうぐらいリアルで。

ミニフィグっていうレゴの人形をよく見ると、表面に軽く入っている傷やテカリ具合も本物さながらなんです。

出てくるものは全部レゴブロックで、町も海も、あとは砂煙までレゴブロックで表現されていて、それを見ているだけでも楽しいんですよ。

そこで一気に僕は引き込まれましたね。

シャワーの水が、レゴブロックでした。

そうそう。

レゴって、本物ではないんですか?

全部CGで作られていて、制作はオーストラリアの会社なんです。

まず何より映像がすごい。

そして二つ目のポイントが、主人公・エメットの成長物語がとても良いんですよ。

エメットは「ブロックシティ」という街に住む、ごく普通の建設作業員。

どこにでもいるようなフィギュアで、完全に没個性です。

物語の舞台にはブロックシティのほか、西部劇の世界や雲の上の国など、レゴらしい多彩な世界が広がっています。

一見、楽しそうで自由な場所に見えるんですけど、実はその裏で世界を牛耳っているのが「お仕事大王」。

彼は秘密兵器を使って、自分の理想の世界に作り替えようとしている。

世界を分断し、思い通りに操りたいんですね。

そして、それに抗うのが「マスタービルダー」と呼ばれる人々。

彼らは自由な発想力を持ち、その場にあるレゴだけで建物や乗り物を作り出せる特別な存在です。

お仕事大王とマスタービルダーは、彼の秘密兵器を封印する「奇跡のパーツ」を巡って対立しているんです。

そんな中、エメットが偶然その騒動に巻き込まれてしまい、なんと彼自身が奇跡のパーツを手にしてしまう。

そこから、マスタービルダーたちと共に、お仕事大王の野望を止めようと立ち上がる、という物語です。

ただし、エメットはマスタービルダーとは違い、想像力もアイデアも皆無。

何でもマニュアル通りに動くタイプで、毎日「挨拶をする」「カフェでコーヒーを買う」など、生活の全部が決められています。

ブロックシティの住人は全員そんな感じで、完全にディストピアですよね。

しかもエメットは特に印象が薄くて、周りからは名前すら覚えられていないほど。

そんな彼が、自分なりのアイデアで立ち向かう姿に、惹かれるんです。

例えば、マスタービルダーたちが飛行機や潜水艦を自由に作り上げる中、エメットがひらめいたのは「2段ソファ」。

両端にハシゴがついていて、大勢でテレビが観られるという代物。

でも、座り心地も悪いし、設計も雑で、散々バカにされるんですよ。

ところが、この「2段ソファ」が、終盤で仲間を救う重要なアイテムになる。

役に立たなそうなものでも、人を救うことがある――そこが、この映画のテーマにも繋がっています。

エメットはマニュアル頼りの人間だけど、それが悪いわけじゃない。

マスタービルダーたちは確かに才能があるけど、自分勝手すぎてまとまりがない。

その中でエメットは、建設現場で培った「マニュアルで物事を組み立てる力」を活かし、みんなをまとめるリーダーへと成長していくんです。

そして、レゴ特有の演出が素晴らしい。

僕たちが実際にブロックを組むときのように、レゴのキャラクターたちがガチャガチャとパーツを組み替えて何かを作る、あの感じがそのまま映像化されていて、観ていて面白い。

キャラクターも豪華で、エメットの仲間にはバットマンやDCヒーローズの面々も登場するので、まさに夢のコラボ。

このあたりも、作品の大きな魅力です。

――ところで、レゴで遊んだことあります?

いやあ。

ないです。ブロックから何かを作り出すのが苦手。

説明書を見ながら組み立ててもいいよ、っていうのも、この映画で伝えています。

マニュアルを見ながらでもいいし、自由に作り上げていい。

まさに、レゴでしか表現できない要素が詰め込まれています。

レゴは高校生の頃に出てきたので、うらやましい。

高いんですよね。

今は、大人の人がやっていたりするね。作り手のプロがいたりね。

そうそう。観光名所のエッフェル塔のキットとか。

僕は値段が高くて、あんまり買ってもらえなかったんです。

アイテムを徐々に増やしていくの?

そうですね。

レゴって本当にシリーズが多いんですよ。

例えば、レゴシティ、バイキングシリーズ、お城シリーズなんかもあって、世界観が全部違うんです。

お城シリーズだとドラゴンが出てきたりして、シリーズごとにアイテムや設定が拡張されていくんですよね。

それに、レゴって実はデンマーク生まれで、「よく遊べ」という言葉を短くしたのが名前の由来なんです。

元々は家具や家を作る木工の会社だったんですけど、途中から木製のおもちゃを作り、さらにそこからプラスチック製のおもちゃへ発展して、今のレゴブロックに繋がった、という歴史があります。

「LEGOムービー」って、そういう背景も活かしていて、ネタが細かいんですよ。

例えば、「ハリー・ポッター」のダンブルドアと、「ロード・オブ・ザ・リング」のガンダルフが、どっちもヒゲのおじいちゃん魔法使いとして同時に登場して、

「いや、お前、設定かぶってるだろ」ってツッコまれるシーンがあるんです。

あれが、めちゃくちゃ面白い。

ジャンルがいろいろあって。

レゴっていう共通点があるから、作品の枠組みを超えて、みんなやりたい放題。

本筋とは関係ないけど、画面の隅でキャラクター同士がふざけ合っているシーンがあって、そこを見ているだけでも、かわいいらしくて面白い。

ワーナーですか?

監督はフィル・ロード&クリストファー・ミラーという2人組なんですよ。彼らの最初の作品が『くもりときどきミートボール』(2009)。脚本も初めて担当した作品で、もう15年前の映画なんですけど、僕が観たのはつい最近でした。

それから、実写映画で『21ジャンプストリート』(2012)というコメディ作品も作っています。警官コンビが潜入捜査のために高校生になりすまして学校に潜り込むという話で、完全にバカ映画なんですけど、めちゃくちゃ面白いんですよ。

ちなみに、この映画の主演の2人――ジョナ・ヒルとチャニング・テイタムが、『LEGOムービー』に声優として参加しているんです。チャニング・テイタムはDCコミックスのスーパーマン役、ジョナ・ヒルはちょっとマイナーなグリーン・ランタン役。作中でスーパーマンがグリーン・ランタンを無視したり、めんどくさそうに扱うギャグが何回もあって、これがまた笑えるんですよ。

メタファーになっているってことですか?

『21ジャンプストリート』では、もう“お約束ネタ”になっていて、グリーン・ランタンがスーパーマンに話しかけると、スーパーマンが「ごめん、クリプトン星に帰らなきゃ」って言って逃げるんですよ。

でもクリプトン星って、スーパーマンの故郷なんですけど、彼が小さい頃に爆発してもうないんです。だからその言い訳自体がボケとして成立してるんですよね。

それから、『LEGOムービー2』(2019)ではバットマンが主人公で、『レゴバットマン ザ・ムービー』(2017)も作られていて、そっちでもこの2人の絡みがまた観られるんです。完全にシリーズ化されたノリですね。

話を戻すと、フィル・ロードとクリストファー・ミラーって、じつは監督作品自体は多くなくて、どちらかというとプロデュース作品の方が多いんですよ。例えば、『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018)は彼らの製作作品で、脚本にはフィル・ロードが参加しています。続編の『アクロス・ザ・スパイダーバース』(2023)にも関わっています。

彼らの作品に共通しているテーマがあって、家族、特に親子関係のわだかまりや向き合い方が描かれることが多いんです。

ぱっと見、『LEGOムービー』には親子要素なんて関係なさそうに見えるんですけど、最後の最後に“あっ”と驚く展開があって、そこで初めて「あ、これは親子の物語なんだ」って気づくんですよ。

これは本当にネタバレなしで観て欲しいタイプの驚きなので、ぜひ観てもらいたいです。

スターウォーズ的ですか?

「私は君の父親だ」とかそういうのではなくて、だけど当たらずとも遠からずってとこがな。終盤のサプライズもまさにレゴならではの展開で、最初に観たとき笑っちゃった。

レゴを映画にしようという発想がまず面白いですよね。

ちゃんと映画にしているんですよ。出てくるのは二頭身のちっちゃいフィギュアです。アクションシーンも爆発シーンもちゃんとそれっぽく動いています。

立体やから絵が面白い。

そうそう。ブロックシティの街並みを眺めているだけでも楽しいんですよね。

で、フィル・ロードとクリストファー・ミラーのフィルモグラフィーの話に戻ると、僕が個人的におすすめしたい作品が2つあります。どちらも彼らは製作=プロデューサーとして関わっている作品です。

まず1つ目、『ブリグズビー・ベア』(2017)。これにフィル&クリスが携わっていたと知って、正直びっくりしました。

物語の主人公は25歳の男性。ある日突然、自分が今まで“両親”だと思っていた二人が、実は自分を幼い頃に誘拐した犯人だと分かるんです。しかも主人公は25年間、家の中に閉じ込められて暮らしていて、外の世界との唯一の接点が週1回届く「教育ビデオ」。

その番組こそが『ブリグズビー・ベア』。いわば“おかあさんといっしょ”的な子供番組で、彼はそれだけを楽しみに25年間生きてきたんですね。

ところがその番組、実際の放送なんかじゃなくて、偽の両親が勝手に作った、完全に“偽のテレビ番組”だったと判明します。

ここまで聞くとホラーみたいでしょう?でも実際は全然違って、とてもハートフルなヒューマンドラマなんです。偽の両親は冒頭で警察に逮捕されてしまい、主人公は復讐に走るわけじゃない。「大好きなブリグズビー・ベアの“続きを自分で作りたい”」と思うんです。仲間を見つけて、一緒に映画として作り上げようとする。

その過程が本当に温かくて、前向きで、人を信じたくなる作品です。

方向性がそっちなんだ。

『塔の上のラプンツェル』(2011)とは違うね。

もう1本おすすめしたい作品があって、これは別の監督によるアニメ作品なんですが、フィル&クリスが製作に携わっている『ミッチェル家とマシンの反乱』(Netflix配信)。これ、めちゃくちゃ面白いです。

物語は、個性的すぎる家族・ミッチェル家が家族旅行の途中で突然、世界中のロボットが暴走し、人類が拉致されてしまうという展開。なぜか彼らが世界を救うことになるんです。

しかも映像がすごい。CGなのに手描き風のタッチが混ざっていて、観ているだけでワクワクするんですよ。

というわけで、フィル・ロードとクリストファー・ミラーの名前を見かけたら要チェック。

最後はもう、これに尽きます。百聞は一見にしかず。ぜひ観てください。

フィル・ロードとクリス・ミラー

(対話日:2025年2月28日)